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生野簡易裁判所 昭和53年(ろ)12号 判決 1980年1月29日

主文

1  被告人を罰金三〇、〇〇〇円に処する。

2  右罰金を完納できないときは金二、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

理由

(罰となるべき事実)

被告人は韓国に国籍を有する外国人であつて、昭和四〇年八月初めころ本邦に上陸入国し、以来、大阪市生野区小路東二丁目二四番五号等に居住していたものであるが、右上陸の日から六〇日以内にするべき外国人登録の申請をしないで、その期間をこえて昭和五三年一月三〇日ころまで本邦に在留したものである。

(証拠の標目)(省略)

(法令の適用)

判示所為 外国人登録法三条一項、一八条一項一号(罰金刑選択)

労役場留置 刑法一八条

(弁護人の主張について)

一、弁護人は、新規登録申請義務を規定した外国人登録法(以下では外登法と略称)三条一項は、不法入国者に適用されないと解するのが憲法三八条一項に適合する解釈であり、したがつて、外登法一八条一項一号は不法入国者の不申請行為を処罰するものではなく、被告人は本件につき無罪であると主張する。

右主張の理由とするところを要約すると、旅券を所持しない本件被告人のような不法入国者が右の登録申請行為に出たとすると、現行の法制度及び手続の実際からして、それは不法入国罪を告白するのと全く同一の結果となるので、この様な結果を招来する右申請行為を法律上の義務として強制することは、黙秘権を保障した憲法三八条一項に違反することになる。よつて外登法三条一項は不法入国者に適用されないと解されねばならないと言うのである。

そこで検討するに、出入国管理令三条は旅券を所持しない外国人の入国を禁じており、違反者つまり不法入国者は同令七〇条一号によつて三年以下の懲役もしくは禁錮又は一〇万円以下の罰金に処せられることになつている。即ち不法入国は犯罪である。一方、外登法所定の新規登録申請に際しては、登録申請書、旅券、写真を提出しなければならない(外登法三条)うえ、右申請書の記載内容には旅券番号、旅券発行年月日等旅券の所持を前提とした事項がある(同法施行規則二条)。そうすると、旅券を所持していない不法入国者は、申請手続において旅券を提出できないのは勿論、その所持を前提とした事項について申請書の記入もできず、これを空欄とせざるを得ない訳であるから、これだけでも不法入国者であることが明らかになると言えるのであるが、さらに申請受付事務の実際では、右申請書のほかに陳述書、理由書を提出させて、本邦に在留するに到つた事情、ひいては不法入国の事実そのものを申告させていることが証人生田八郎の供述等によつて認められる。

そうだとすると、不法入国者が新規登録申請をすることが、そのまま不法入国罪の告白にもなることは極めて明らかだと言わなければならない。そして刑事訴訟法二三九条二項、出入国管理令六二条二項によると、不法入国者の右登録申請を受付けた市区町村の職員は、その事実を捜査機関に告発し、或いは入国審査官等に通報しなければならないことになつているのであるから、それによつて捜査が始まり不法入国者としての刑事責任を問われるおそれがあることは十分に考えられるところである。

ところで憲法三八条一項については、何人も自己が刑事上の責任を問われるおそれのある事項について供述を強要されないことを保障したものと解すべき(最判三二・二・二〇集一一・二・八〇二)ところ、右規定は刑事手続のみに限らず、実質上刑事責任追求のための資料の取得収集に直接結びつく作用を一般的に有する手続にはひとしく及ぶというのが昭和四七年一一月二二日の最高裁大法廷の判決である。本件の外登法所定の登録申請手続は、それ自体として行政手続であつて刑事手続ではないが、すでに検討したところに照して考えれば、不法入国者の登録申請に関する限りにおいて、それはまさしく「実質上刑事責任追及のための資料の取得収集に直接結びつく作用を一般的に有する手続」に該ると言わざるを得ないのではないかと思われる。そうだとすると、右申請手続にも憲法三八条一項のいわゆる黙秘権の保障が及ぶことになるので、外登法三条の登録申請義務が不法入国者にもあるという解釈をとる以上、前述した右申請手続の内容からして、違憲の問題が生じてくることは避けられないところである。

そこで次に、不法入国者に新規登録申請義務があるか否かについて検討することになるが、弁護人はこの点について前述したように不法入国者の申請義務を否定する。しかし、外登法二条は外国人の定義において不法入国者を除外していないうえ、そもそも同法により外国人に登録義務を課しているのは、わが国に在留している外国人を適正に管理していくという目的のためには、その居住、身分関係を把握しておくことが必要不可欠だからであつて、ことは国家統治の基本にかかわる問題である。したがつて、右二条を別にすれば、すべての外国人が申請義務を負担するのは当然であつて、たとえ不法入国者であつても本邦に在留する以上右義務を免がれることはできないというべきである(最判三一・一二・二六集一〇・一二・一七六九)。そうだとすると、前述したように黙秘権との関係が出てくることになる。しかし、憲法三八条一項の黙秘権ないしは自己負罪拒否の特権の保障といえども全く無制限のものではあり得ないところ、外国人登録の制度は前に一言したように、国家にとつてその行政上極めて重要な制度であつて、その意味で高度の公共的価値を有するものである。したがつて不法入国者に新規登録申請をさせることによつて、たとえ前述のように刑事責任に関する黙秘権を実質上侵害する結果になつたとしても、それは、わが国に在留する外国人の黙秘権に対して、公共の福祉からするやむを得ない制約として是認されなければならないというべきである。してみると、不法入国者に右申請義務を課したとしても、それは違憲とはいえず、弁護人の右主張は結局において採用することはできない。

二、次に弁護入は、仮りに外登法三条が不法入国者に適用されるとしても、被告人が登録申請をすれば不法入国の事実が必然的に露見し、出入国管理令二四条一号の退去強制事由に該当して強制的に韓国へ送還されることを考えると、被告人に対し「上陸の日から六〇日以内に」かかる登録申請を期待することは不可能である。よつてその有責性は阻却されるべきだと主張する。

そこで期待可能性の有無について検討するに、たしかに不法入国者はそれが発見した場合、すべて退去強制の可能性を有している(出入国管理令二四条一号)のであるが、しかしそうだからと言つて、それだけの理由ですべての不法入国者に登録申請の期待可能性がないなどということは、前述した外登法の目的、その行政上の重要性からいつても到底これを認めることはできない。

ところで期待可能性の理論は、被告人の置かれた具体的事情の下でその行為をすること(或いはしないこと)が全く無理もない場合には、もはや行為者に非難を加えることはできず責任が阻却されるというものである。そこで本件における具体的事情について考えると、被告人の司法警察員に対する供述調書及び同人の当公判廷における供述によれば、被告人は韓国済州島で父全京宅、母梁炳旭の三女として生れたが、小作農としての生活は苦しく、家族(父母のほか被告人を入れて子供が五人)全員が一緒に暮らしていくことは難かしいということから、昭和三四年頃に姉の衣江(特別在留許可を得て現在大阪市に居住している)が、母の親戚である元乙春を頼つて大阪に来たのに続いて、被告人も同じく右元乙春を頼りに、昭和四〇年八月に日本へ密入国したのである。そして昭和四五年一一月に同じく不法入国者である高大智(昭和四二年九月に密入国)と結婚し、以後出生した子供三人及び高大智の父親と共に、現在まで主としてサンダル加工の仕事をしながら真面目な生活を続けてきた。被告人としては、密入国が法に触れることは知つていたし、日本に在留するについて外国人登録申請をしなければならないことも承知していたが、申請をすると必然的に密入国の事実が明らかとなり、韓国に強制送還されることを恐れてこれをしなかつた。しかし子供が学令に達し、日本の小学校へ入学させるにはどうしても外国人登録証明書が必要になつたこと、また夫婦ともに密入国から一〇年以上を経過して特別在留許可を得られることも期待できたことから、昭和五三年一月二八日に思い切つて大阪入国管理事務所に出頭して不法入国の事実を申告し、その二日後の一月三〇日に住居地の大阪市生野区役所に外国人登録申請をするに到つたものである。以上の事実が認められる。

右の具体的事情からすると、この様な立場に置かれた被告人が新規登録申請を行なうことは、実際上極めて困難であつたことは心情的に十分理解し得るところである。しかしそれにも拘らず、それが全く不可能であつたかということになると直ちにこれを肯定する訳にはいかないのである。即ち、いかに生活に困窮したとはいえ、被告人は違法と知りつつ本邦に密入国したのであり、しかも、すでにその当時、密入国が発覚して強制送還されてくる人達のいることも承知していたというのであるから(被告人の昭和五三年七月一九日付司法警察員に対する供述調書)、言つてみれば、自己の密入国の結果として、前述した様な切羽詰つた事情の中に自分を置くことになることも十分に予見した上でその行為を敢行したとも言えるのである。被告人がいう様な苦しい生活環境の中でも、それがその国に生れた者の宿命としてこれを受けとめ敢然と生きている人達もいることを考えると、被告人の右のような考え方とその行為には、どこかに甘えと安易さが見受けられるというのは酷であらうか。さらに実現の見通しは余りないとはいえ、法的には特別在留許可の制度(出入国管理令五〇条)があることも考慮に入れない訳にはいかない。それと、仮りに韓国に強制送還されることになつたとしても、其処はもともと被告人の祖国なのであつて、今でも父母姉妹らが生活している土地なのである。被告人は厳しい取調べが待つていると言い、弁護人は強制送還は非人道的な刑罰であると言うのであるが、法を犯して密出国した以上、それに相応の取調べを受けるのは或程度仕方のないことであろうし、強制送還を非人道的ということは、心情的には理解し得るとしても、国家の制度としてはこれまた誠にやむを得ないところというべきである。以上に加えて、前述した外国人登録制度の行政上の重要性ということもここで考えなければならないであろう。

以上の諸事情を総合し、一般人を標準として考えた場合、本件犯行当時に被告人の置かれていた具体的事情の下で、被告人に新規登録申請行為を期待することができなかつたものがあるとは認めないというべきである。結局、この点についての弁護人の主張も採用することはできない。

よつて主文のとおり判決する。

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